【哲学的レビュー】「Amazon Echo」

明けましておめでとうございます。

 

去年のちょうど今頃はこんな事してました。

p4bear.hatenablog.co

 

さて、新年さっそく何か書こうと思って思い出したのが、

クリスマス前にようやく届いたこれ。

Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)

Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)

  

アマゾンエコー(Amazon Echo)、いわゆるスマートスピーカー

スピーカーはただ音を垂れ流すだけですが、スマートスピーカーは人間が声で命じると音楽を止めること、ネットのニュースや曲を拾って流すことなどができます。

え、初めて知った。っていう人にはこちらに詳しい解説があります。

www.tamashii-yusaburuyo.work

というわけで、ふつうのレビューはいまさらなので、哲学的にレビューしてみましょう。

 

続きを読む

サイゼで死を語る

(元記事:サイゼで死を語る - はい哲学科研究室です(2016/12/28))

 

どうも、数年前に哲学科研究室を巣立ったコガです。

以前、透明になりたがっているクマとして鮮烈デビューをした者です。

 

nagairei.hateblo.jp

 

どうやら僕は世間的にややおかしめの頭をしているようですが、本人には全く自覚がなくて、逆になんでみなさんそんなにおかしくないの?と不思議でしょうがないのですが、特に気になることでもありません。

 

じつはあの日の研究会の少し前、サイゼでの別の打ち合わせで「死がこわい」という話をしたのでちょっと書かねばなりません。なぜなら、こればっかりは世間と理解しあえないことが異常に不思議であることを通り越して、まったくの異邦人感をあじあわされる超やばいテーマだからです。

 

なんだ哲学者なんて死をやたらと深刻に考えて、しょうがない奴らだ…と、そうお思いでしょう。しかし、哲学科の人間と死について話すと、「あー、いつ死んでもいいと思っているね(たばこスパー)」とか、「だいたいやることやったわ、あと10年ぐらい生きたら十分じゃね?」とか、死に距離感ちかい感じだして全然みえてないんですよこれが!

 

とつぜんですが、僕はたしか小2か小3ぐらいからはっきりと死を恐れていました。

さすがに馬鹿じゃないですから生き物が死ぬのはしってましたよ。テレビでも敵が爆発して死にますし。

でも自分が死ぬと気づいたときのショックはまったく違うはずですよね、どうしてこの話があまり共有できないんでしょうか。

僕にとってその気づきに襲われたのはこんな時でした。

校庭でみんなでわいわいドッヂボールしていたとき、急にこれがまるごとなかったことになるんだ、それが絶対に避けられないんだ、それはさいしょからきまっていたんだ…そんなことが一挙に突然「わかった」というか「初めて思い出して」しまったのです。目の前の世界がおもちゃのようになり、リアルでなくなってしまって、どうしたらいいかわからなくなりました。

今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん*1

そんな江戸時代の狂歌が思い浮かぶほど渋い小学生ではなかったですが、みんながドッヂを楽しんでいる中で自分のテンションが迷子になり、国旗を揚げる区画の白い柵にもたれかかってとにかく下を向いていたのをはっきり覚えています。

なんだか異様なオーラを出していたのでしょうか、友達が一回声をかけてくれましたが誰だったか覚えていません。

 

f:id:nagairei:20161228011008j:plain

 

だれもがそんな記憶を語れると思っていたのに、このていたらく!

しかし、このブログの主ながーいさんは幼稚園の頃からこの死という世界の真実と向き合っていたことをサイゼで語ってくれました。

そして、ほりさん(例の記事では猫)もいたのですが「ほえー、すごいね。私は中学生ぐらいだよ」という感じでした。

経験上ほりさんタイプが圧倒的多数で、たぶん幼稚園生や小学生が死…ププッっていう反応が普通なんでしょう。

 

自我もろくにできてないうちから、死の理不尽さになぶられつづけたあの日々。それは中高生で自覚する死とはまたちがうのでしょう。虐待とかトラウマとかそういうわけじゃないけど、いまだにそこそこ苦しくなるのは本当で。

だから自分が考える死というのがまちがってるんじゃないか、誇張されてるんじゃないかというのはすごく思います。

 

なんにせよ、当時から今までずっと恐れているのはこういうことです。

・絶対避けられない。世の中にいろんな「絶対」があるけど、死はまじ絶対。

・予想できない。子どもでも死ぬ。

・そんなことが時々めちゃくちゃ怖くなるけど、世の中はそんなそぶりすら見せない。

・死に近いはずの老人が、恐れている感じを出してない。

(むかしばあちゃんだか誰だかに勇気をだして聞いたら、死ぬのはあたりまえだし、そろそろ死ぬだろう的な日常が繰り返されて何も感じなくなったみたいなことを言っていた。ちょっと希望がわくと同時に疑わしかった。みんな死が大したことないとか慣れるとか、死にだまされてるんじゃないか?)

・ってなことを考えている自分ごと無くなる。

・というか無くなるということすら感じさせてもらえない。感じる自分が存在しないのだから。無慈悲。

 

この最後の点を盾にとって、「死んだときにはもう分からないんだから、怖がるだけ損じゃん」みたいなことを言う人がいます。

 

いや、そう、そこなんです。ポイントは!

 

私の死を怖がることは、私にしかできません。

「いとしいあなたの代わりに、アタシがあなたの死を怖がるワ」なんてことはあり得ません。

 

私が私の死を怖がること、それは、いつか死ぬ私が、おそらく宇宙がはじまってただ一回きりの「このワタシ」であることを私自身にゴリゴリに押しつけ、恐怖させ、確認させることであって、決して損なことではないんです。なんか変態みたいですが。

そして、そのことを確認すればするほど、わたしはわたしがこの宇宙で最も愛おしくなり、それゆえまた最も死が恐ろしくなるのです。

怖い、そんな自分がここにいる、自分最高、でも死ぬ、怖い、そんな私、死ぬ、わた、し、こわ、わたしこわ…あー、ぐるぐるまわります。

このぐるぐるに入るとしばらく(数分)回復できません。

 

まぁとにかく「恐がり損」なんていう人の立場に立つなら、そもそも我々全員がどうせ死ぬんだから「恐がり損」どころか「生まれ損」「生き損」であることは明白だから、生きてる意味が無くなってしまいます。

ということは生を無意味化する死について、一緒に震えるべきなのです。

そしてこのぐるぐるの恐怖には自分というものを否応なしに見つめさせる意味があるんですが、しかしそんな意味など無かったほうが安心して暮らせるのであって、もっとみんなこの矛盾にギャーっと引き裂かれるべきなのです。

「これっきりの自分が、これっきり無くなること」のどうしようもなさにもっと戦慄してほしいのです。

 

自分が生きたこの無限ともおもえる喜怒哀楽に満ちた人生が、けっきょくは一点に収束して無になってしまう。これを逆ビッグバンとでも呼びましょう、逆ビッグバンは一点に収束します。誰かと「一緒」に死ぬことはできません。

どういうことかというと、たとえば僕が死ぬということは、みなさんの住んでいる世界から一人が退場することです。みなさんにとっては。

しかし僕にとっては、僕という宇宙が、みなさんごと、1000年後の未来も、遠い宇宙のまだ見ぬ星も、時間も空間もひっくるめて文字通り「すべて」閉じて消えてしまうということでなければなりません。

 

…そういう感覚を少なからず背負って死へ向かわされること、あのとき感じたこの理不尽さをある程度言語化できるようになりました。でもやっぱり慣れたり克服したりできるものではなさそうです。

死は僕にとっては乗り越えられない何かでありつづけるようですので、またいずれ同じような話を書くかもしれません。

 

でもつぎはもうちょっとポップな感じでいこうと思います。

*1:大田南畝 辞世の歌

僕は月の匂いがわからない

(元記事:僕は月の匂いがわからない - はい哲学科研究室です(2017/02/02))

 

こんにちは、コガです。哲学科研究室を去って久しい、そんな存在です。

  

またファミレスのでの話です。メンバーもいっしょです。

この日はだいたいこういう具合になってました。

 

f:id:nagairei:20170131115205j:plain

 

朝から調子の悪かったらしいホリさん。でも短歌大好きホリさん。

ナガイさんから手渡されたよく効くクスリに手を出しています。

なぜか元気な僕もすすめられましたが断りました。

 

この日は去年やった発表の練り直しのためにあつまっていたんですが、そのうち現代短歌の話になりました。 

 

みなさん短歌ってわかりますか?

「お、おう、五七五七七のあれだろ?あと百人一首?」

ぐらいの感じじゃないでしょうか?

俳句ならいくつかスッと出てきますが、僕は短歌なんて教科書でいくつかやったぐらいでろくに知りません。

それが現代短歌なんて、なにそれどこで知るの?っていうのが正直なリアクションです。生きててどこで出会うんでしょうか。

もう異世界です。むかし日本史の先生が製塩の歴史にはまってたんですが、塩の魅力に取りつかれてしまったらしく、いつのまにか日本塩学会みたいなとこに入って学会誌「ソルトNow」を購読していたときぐらい世界は広いんだなと思い知らされました。

 

ホリさんとナガイさんはぼくの知らない現代歌人たちの名前を挙げながら次々に紹介して、共感しあっています。相づち多めでついていきます。学部生のときに大学院の先輩とフランス現象学について話していた時ぐらい何もわかりません。

そんな我々がそのときやったのは、こういうものでした。

次の短歌の空欄を埋めよ

 

終電ののちのホームに見上げれば月は     の匂い*1

 

現代短歌でたーーーー!!

月の匂いとかいきなり強い!

 

でもガチで当てにいきます。

とにかく音でいうと七音程度、何だか匂いのするもの、そう予想を立てました。

みなさんも考えてみてください。何が短歌的に正解なんでしょうか。

 

ここで、正解を言う前にちょっと補足。

この「短歌穴埋め」はホリさんの持ちネタ(歌人穂村弘の影響とか)なんですが、「答え」を当てようとするだけですばらしい効果が出るのです。

というのも、穴埋めを考えるということは作歌?のプロセスを追体験することであり、しかもその穴埋めは最後のピースとして歌そのものを成り立たせるか台無しにするかを左右する、すなわち歌の中の詩情の有無を担う超大事な言葉なのです。

ってことは、穴埋めを考えるだけでいい短歌とは何か、その本質を探ることができるわけです。単純かつ核心的。

 

では、僕の答えと、正解を発表しましょう。

ゲームは非情なもの。知的なゲームとはいえ、勝ちを目指しました。僕は苦心した結果「腐ったメロン」と答えました。

 

けっこう自信があります。

僕は「終電」という言葉から、節制の欠如や後悔を感じ、月という超然的存在との対比から自己卑下に走る…そんなイメージが見えたのです。

だからそんな状況になったらもう俺はゾンビだ、死体だ。でも月はきれいだぜ!腐って、きれいで、そうだこの状況はもうグジュグジュの腐敗したような果物、メロンだ!

腐ったメロンだ! 

 

みんなの反応で分かってました。これは外れのやつです。

正解は…

 

終電ののちのホームに見上げれば月はスケートリンクの匂い

 

でした。

ああ、さわやかですね。全然腐ってない。いま調べたら作者は女性のようでした。たしかに歌からマッチョネスを感じませんね。

どうやら終電には間に合ったんでしょう。降りたホームでホッとしながら冬の空気感を詠んだ、そんなイメージが浮かびます。深呼吸もしたと思います。なんか鼻の奥がスーッとする歌ですね。

 

***

 

さて答えを聞いてみて、やっぱり僕は論理にこだわっているなぁと思いました。だってスケートリンクって匂いしないし、月みたいに丸くも弓なりでもないし。

穴埋めとかいって他の情報はむしろ引っかけやんけっていう。いや、負け惜しみじゃなくて。むしろ生き生きと語るホリさんたちに尊敬を禁じ得ません。

f:id:nagairei:20170131115216j:plain

 

「論理べったりでストレートにつながるのを避ける」、きっとそれが現代歌壇的には正解。それは話しながらヒシヒシと感じます。

 

さて、今回ぼくが気になったテーマはそれです。

「短歌にとって論理ってどれくらい邪魔なの?」

 

短歌において前後関係が論理だけでつながると、日常言語と変わりません。日常言語で綴るとそれなりに字数が必要で、そのまま書くと三十一文字どころか説明説明で数行にふくらんで、表現形式でいうと小説ってやつになるでしょう。

わかりにくいと思うので上の短歌の小説版をいま適当につくってみます。短歌から小説への翻訳と思ってください。

 

マチ子いつになく飲んだ。マチ子が自分にそれを許すぐらい、十分に楽しい会だったのだ。ただ、帰らねばならなかった。そのことだけは、消えかける理性の中でも頑として動かなかった。

 

そのおかげだろうか、なんとか終電には間に合ったらしい。記憶と呼べるものはすっぽりと、無い。気がつくと一人、駅のホームに立っていた。

毎日目的のない祭りさながらに灰色の人間たちでごった返すこの駅だが、今や嘘のように無人となっていた。

嘘、といえば、月もまた嘘のように輝いている。マチ子はそのことに気づいた。

いや、ずっと気づいていたのかもしれない。

ホームに立つ三十女と月との単純な関係だけが、そこにはあり、その動かしがたい事実がマチ子の心を静かに満たした。

 

「そちらから見た私も、一人でしょうか。」

無線で夜間飛行士に問いかけるように、地上から念じてみた。

 

返事はなかった。

そのあいだ、駅前のコンビニとロータリーはしんと静まりかえっていた。

それはまるでマチ子を待つスケートリンクのようだった。

 

ヒュー!小説風だとこんなかんじでしょうか。「スケートリンク」に説得力を持たせるために駅前のロータリーを持ち出してそれをスケートリンクとみなすというビジュアル的力技に逃げました。雪を降らすとビジュアル面は強化されますが、ちょっと安直すぎる気がしますね。

さて短歌にもどると、

終電ののちのホームに見上げれば月はスケートリンクの匂い

みじかっ!

「見上げる」という視点の飛躍と、視覚から嗅覚への飛躍に、もはや日常言語では追いつけない短歌のおもしろさがあるように思えます。

そして、その凄み、面白さ、よくわかります。

 

ただ!逆に!もうせっかくなんで噛みつきますけど!

日常言語を振り切れば勝ちみたいな風潮?そいういうのってないですか?

 

もし匂う何かを入れるのがストレートすぎるなら、たとえば匂い(嗅覚)から離れた別のものを入れてみます。

「グランドピアノ」…とか?匂いはしない(たぶん)。でも聴覚系は音が短歌に侵入してくるような…あと月とピアノのキラーな取り合わせが逆にあざとい。次!

触覚はどうでしょう。「ふわふわ毛布」…とか?いやだめだ!匂いイメージも同じくらい強いし、そしてこれもあざとい。というか七音のモノむずかしい。

だったら味覚で、ああそうだメロンはダメなんだ。入れてもいいけど、大して面白くないというか、ええと、ほかに味がしてあまり短歌ですよアピールしすぎない七音のすばらしい存在はああああ!もう思考なんて全部捨てよう!あああああああおぎゃあああああおわああああここの家の主人は病気です。

 

ちょっと冷静に考えてみましょう。この穴埋めで「正解」を導くために何が行われているのか…

  1. 嗅覚から外れようとする、つまり「not A」を探ってる時点で、論理は働いている。
  2. しかし上で見たように「not A」であれば何でもいいわけではなく、どうやら「スケートリンクの匂い」でなければならない一種の必然性がある。(これは膨大なnot AからディープラーニングによってAIが短歌を作る可能性の是非につながる)

論理に縛られないということは、論理を捨てることじゃないはず。とはいえ、ゆるいながらも理詰めでかんがえるのは不毛な感じがする。

 

だったら古典的なわかりやすい短歌でいいんじゃない?

だって、ストレートに書いたら単なる一文と変わらないのに、それでも詩情をもたせるというのはものすごくないですか?

たとえば僕の好きな短歌in教科書

清水へ祇園をよぎる桜月夜(はなづくよ)今宵会う人みな美しき*2

陳腐な言葉が並んでいます。これさえ使っておけば詩歌っぽくなりそうな、安易でストレートなポエムワードばかりです。

けど、どうでしょう。言葉に「外し」がないのに、春や夏の夜に徘徊しているときのあのざわざわする心が完璧に表現されています。何なら下の句だけで完成されています。

少なくとも僕にとってはこれ以上のものを現代短歌に期待する必要は無いのです、極端な言い方をすると。

 

気鋭の若手哲学者をプラトンで殴るみたいなことを書いてます。すみません。

 

デュシャンの「泉」の教科書的な意味は分かるつもりですが、どっちかというと見なくていい。見るとしても一回でいい。

 

ハイデガーが、自分の思想で言いたかったことを絵画で表現しているのがパウル・クレーだと言ってクレーに電話までかけたという話を読んだとき、うそつけって思った。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7a/Death_and_Fire.JPG

(パウル・クレー「死と火」、1940) 

 

とまどいしかない。

 

アドルフの気持ちが分かる。クレーを「退廃芸術」とまでは言わないけれど、心理的に拒否したい気持ちぐらいは。

なんなのこの気持ち。なんで壁があるように思えるんだ。

 

まぁあれぐらい熱狂的な人が、必死で絵画を勉強したけど美大に入れなくて。で、こんどは総統という地位から、自分を馬鹿にした「芸術家」たちを「退廃芸術家」として弾圧し、自分が愛するロマン派なんかの芸術家を称揚するわけです。

芸術のドシロートが「現代芸術マジ無理」って言ってるなら、それはよく分かります。現代芸術が「外して」いる文脈がわからないからです。デュシャンの「泉」はただの小便器でしょう。キュビズムは狂人の視点でしょう。

でも、物乞い同然の暮らしになってまでも本気で芸術をやろうとした彼が、現代芸術を嫌い続けたというのは非常に興味のあることです。決して馬鹿でも素人でもないのに。

 

短歌に戻ります。最初から現代短歌に惹かれる人もいれば、むしろ古文でやるような和歌に惹かれる人もいるわけで、これって何に起因するんでしょうか。

第三の道はあるのか?そもそもどちらかに分かれないといけないのか?いわゆる「現代芸術」が無かった時代の人たちって、古典的な芸術がコレジャナイだったらどうしてたのか?

頭では現代芸術、現代短歌の意味や自由さはすごくよくわかるんですが、どうして感情面が乗車拒否するでしょうか。

みなさんはそういうことないでしょうか?

 

最後に、「現代短歌だけどコガさんが好きそうだよ」とおすすめしてくれたものを

 

ひとひらのレモンをきみはとおい昼の花火のように回していたが*3

 

この春のあらすじだけが美しい海藻サラダを灯の下に置く*4

 

きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん*5

 

ええやん

ドナトロジー(ドーナツ学)への寄与

『失われたドーナツの穴を求めて』(2017年、さいはて社)という奇妙な本がある。

saihatesha.com

プルーストの『失われた時を求めて』にかけて洒落ているのだろうが、まあ語呂が悪すぎる。

「とき」に相当する箇所に「どーなつのあな」を充てる力業には、むしろすがすがしさえ感じる。

 

装丁をごらんいただくと分かるが、これが凡百の「失われた~」パロディ本のひとつでないことは容易に見てとれる。

私もいざ本を開いて奥田太郎氏の「第0穴」を読んだところ、その直感はいよいよ確かなものとなった。

 

 タイトルに冠された「失われた」とは、端的に言うと「問いが失われた」ということであり、問われるべきものが問われていない「忘却」の状態を指摘している。これは、長い哲学の歴史において真正面から「存在」が問われてこなかったことを嗅ぎつけてしつこく問い続けたハイデガーの指摘、すなわち「存在忘却」にも相当する偉業といえよう。
 
ドーナツに穴があるのは当たり前
あるものがあるのは当たり前
 
この「当たり前」をとりはずして、「穴」や「ある」について問うことがいかに難しいかを示すのは、哲学者の面目躍如といったところだろう。 
 
この著作は、ただ読むだけのものではない。読者の専門とする分野からドーナツの穴の謎についてアプローチする「ドーナトロジー(ドーナツ学)」への招待状にもなっているのだ。そこで私も自分なりの寄与をせずにはいられなくなったのである。
 
***
 
私の専門はこの際おいておこう。
どうしても書きたくなったのは、日本におけるドーナツ史のことだ。『失われた~』では、英国と中国における歴史学的アプローチがとられているが、わが国におけるドーナツ史も取りあげずには済むまい。
 

さて、ドーナツというものは戦後にアメリカ文化と共に入ってきた…多くの方はそう思われはしまいか。

ところが「小麦で作った生地を油で揚げた」程度のものを「無かった」と強弁する方が不自然であろう。

ありそうでなさそうで、やっぱりある。そんな「ドーナツ型菓子」について、私の知るいくつかの説を紹介しよう。

 

1.聖一国師伝承説

まず、鎌倉時代臨済僧である円爾(えんに:1202-1280)を外すわけにはいくまい。後に天皇より国師号を贈られ「聖一国師」となる、名僧中の名僧である。

 

円爾の生まれるころ、平清盛(1118-1180)によって始められた日宋貿易が隆盛を極めていた。北方の騎馬民族に圧迫された中華王朝は、南部へと押し込められており、現実から目を背けるような退廃的な文化や超然的な文化が栄えていた。その濃密な芳醇な文明から、武家社会に移ろうとする日本社会は強烈な影響を受けたのである。日宋貿易は、遣唐使以来の本格的な日中貿易であり、目の覚めるような成果を生み出した。

 

そこで活躍したのが僧侶である。

当時の「僧侶」という存在は、仏典・漢籍という中華圏共通の文化を理解し、必然的に中国語も読み書きできるゆえに学者であるだけでなくいわば外交官でもあり、商品や文化を厳選して取り扱う目利きでもあった。

円爾もそうした優秀な知識人の一人であり、中国最先端の文化である禅宗を学んで意気揚々と博多に帰ってきたのだった。

 

だが円爾の持ち帰った叡智は禅だけではなかった。

たとえば明治初期に来日したド・ロ神父は、長崎の小島で貧しい農民達にパスタ作りを教えながらキリスト教も伝えたのだが(『西麺伝来記』)、円爾もまた「粉もの」というジャンルを持ち帰って、禅の教えとともに広めたのだ。

 

円爾の伝えたものそれはすなわち、うどん、そば、まんじゅうである。  

 (福岡市博多区承天寺」にある石碑。御饅頭所(右)、饂飩蕎麦発祥之地(左))

 

小麦などの「粉をひく」という食文化は円爾ら禅僧とともに博多に入ってきた。ゆえに、小麦から作られるドーナツのようなものも入ってきてもおかしくないという主張がなされるのも無理からぬ話である。

しかし、ラーメンについてはようやく江戸になって水戸光圀公が始めて食べたと言われるところをみると、粉を卵で「つなぐ」という発想はまだ無かったはずだ。

それに、卵のごとく生殖に由来するような、あるいは命のカプセルをそのまま頂くような殺生な食物は、仏教文化圏ではあまり好まれまい。

ゆえに、ドーナツの存在については疑問が残る…というのが常識的な推論といえる。

 

ところが、禅の元祖達磨大師から数えて六代目にあたる中国の高僧、六祖慧能(えのう)の日常を伝えた『六師正伝』(作者不詳)には、ドーナトロジストとして決して見逃せない記述がある。

慧能が食事中に弟子達を挑発するように次のように言ったという、

「食蓮而勿食蓮孔」(レンコンの穴を食う事無くレンコンを食え)。

 

 

無理難題である。

しかしこれこそまさに「公案」とよばれるものである。すなわち、あえて非常識な問いに取り組む事によって常識的な論理にとらわれた自我を解放し、悟りへと導く装置なのだ。

慧能の後継者として七祖に選ばれたのは馬祖道一(ばそどういつ:709-788)だが、実はこのとき食卓を共にしていた若い僧侶こそ馬祖であった。そしてこの「食蓮」の公案によって、禅の道を成就するに至ったとも言われる。

その馬祖が、六祖慧能の軽妙な公案になぞらえて作らせたのが「六祖導道」あるいは「六道(六導)」という菓子である。

 

この菓子は慧能を祀るものであったが、しだいに他の禅師を祀る際にも捧げられるものとして受け入れられていった。しかしそののちかの臨済禅師がこれを廃止してしまったという。

「六道」を以て禅師を祀り、あるいはこれを食すなどすれば悟りに近づけると考えて禅の道を根本から誤る者が出始めたからである。

そのため臨済は「六道」を「無道」と改めて戒めとし、以後作ることを厳しく禁じてしまった。ゆえに本来の製法や形状の実際は闇の中へと消えてしまったのだ。

 

ところが消えたと思われた「六道」にはもう一つの運命があった。実は留学僧を介して、その存在と禁止令がほぼ同時に日本に伝わっていたのである。祖先崇拝を大事にする日本では禅師を祀る菓子はどうしても作りたい。だが作ってはいけない。だから「どうにもしようがない」のである。その歯がゆさから、「無道」にかけてこの菓子「どうなし」と呼び変えて密かに再現しようとした一派がいるらしいが、詳しくは分かっていない。

 

しかし話はこれで終わりではなかった。

 

中国から伝来したありがたくも実体のわからない菓子に商機ありと考えたしたたかな博多商人がいたのだ。名を御簾堂夏吉(みすどうなつきち:生没年不詳)という。

 

夏吉は博多湾から引かれた石条堀(せきじょうぼり:いまの博多区石城町3丁目付近か)の海運業者とされる。もとは百姓の生まれだが、その才覚を見抜いた博多の豪商神谷宗寿(かみやそうじゅ)のもとで中国貿易のイロハを学んだことが分かっている。

宗寿のツテで臨済宗聖福寺の老僧談匀(だんきん)禅師にも師事するなど、耳ざとい中国通として評判の高い人物だった。壮年に入って京都の御簾堂家に婿入りしているが、生活の苦しい貴族が商人の財力を見込んで末娘などの婿にむかえることはしばしば見られたことである。

 

当時、栄西禅師が聖福寺に植えた木の葉から煮出す汁を僧侶と共に飲んでいたのだが、ありがたいものとはいえこれが非常に苦いのだった。

 

夏吉はつねづねこのありがたくも苦い飲み物に合わせる絶妙な菓子がないか思案していた。そんな菓子があれば禅とともに大ブームになるに違いないと確信していたが、生半可な菓子では自分だけでなく宗寿や談匀の顔がつぶれることも分かっていた。

 

そこで聞いたのが「どうなし」の話である。

 これを日本で人気の高い馬祖に由来するありがたい菓子の再現とし、例の木の苦汁とあわせて最先端の中国文化を味わえるならば、まず博多での流行は必定。

さらには『興禅護国論』によって幕府の後ろ盾を得た栄西禅師を頼れば、まずは鎌倉の将軍に、その後あわよくば帝に献上する名誉も得られるのではないか。

夏吉の妄想は高まっていた。

 

もちろん栄西が中国から持ち帰って種を蒔いたというこの木こそ茶の木であり、僧たちが飲んでいた汁とはまさに「茶」であった。

栄西は帰国してまず福岡の背振山(せふりやま)と聖福寺に茶を植えたのであり(『喫茶養生記』)、法然の論敵としても有名な明恵(みょうえ)がこの原木を京都栂尾に移植したことから京都でも大いに茶が流行したという。

これが後の「茶の湯」の源流となったのは言うまでもなかろう。

 

余談だが、だれもが飲みやすいものが「甲」の、すなわち一番の飲み物ならば、茶はもともと飲み物としてはどこか難があるような「乙」の、すなわち二番手に落ちる物であった。

舌の肥えた高僧たちがしぶしぶ飲んで「乙也。」と苦々しく言っているのを見た出入りの商人達が、これを褒め言葉と勘違いして自分たちの隠れた文化にしていったという。後にその伝統の中で育った堺の商人千利休が大成した茶の湯にも当然「乙」の精神が活かされている。読者の中には「乙」こそが日本の誇る文化だと考える方も多いだろうが、もとはといえば商人の勘違いだったのである。

  

「どうなし」に戻ろう。

新しもの好きの夏吉は、博多に中国から入ってきたばかりの「饅頭(マントウ、まんじう)」なる菓子に目を付け、これを蓮根を模した形に作って穴を開けようと考えた。「食蓮」の故事にあやかったのである。

いくら蓮根状に作っても穴がつぶれてしまうため、中央にひとつだけ穴を残すことになったらしい。最終的に、竹筒に油を塗ってそこに饅頭生地を巻き付け、その棒状のものを蒸しあげることで完成した。

今から見ると何のことはない。早い話が小麦の生地でつくった竹輪(ちくわ)である。

  

夏吉はできあがりを筒から外して切り分け、商売の成功と僧たちの仏道成就を願って、「道成し(どうなし)」と名付けたそうである。このとき切り分けられていく「道成し」を見た談匀は、表面が菓子で中身は空っぽであることをいたく気に入り、「無胴哉。」(なるほど「胴が無い」=胴無しだな!)と言ってにわかに爆笑してしまったので腰をしたたか痛めたという。(『安国山聖福寺史』巻十二「談匀」)。

 

馬祖が六祖慧能公案による導きに感謝して「六道」と名付けた菓子が、一度は厳しく禁じられながらも時空を超えてまさに禅のために博多の地でよみがえったのは歴史の偶然か、はたまた必然であろうか。

しかし運命というものはひとつ与えてはひとつ奪うらしい。不幸にも談匀は腰を痛めたあとで寝たきりになって間もなく没し、夏吉もこれからというときに海外からの流行病に倒れ、談匀のあとを追ったのである。

 

二人の粋人が消えたあとに残されたのは、竹筒が刺さった饅頭の列である。

再現品とはいえ、もとは禁制の品。聖福寺も夏吉の関係者も、互いに変な空気になるのを恐れてこの件は黙殺されたそうである。

こうして帝への献上どころか博多での普及も叶わないまま終わった。「道成し」は何も成すことのないまま、歴史の中に切り開いた道を再び無くしてしまったのである。

 

 
***
 

夏吉の性急な試作品をドーナツと呼べるか私も心許ない。しかし「食えない穴をもった菓子」という「ドーナツ性」を宿している以上、これはドーナツのイデアを分有したドーナツ的なるものと言わざるを得なのではなかろうか。

 

最後にドーナツ学普及の緊急性を痛感させられた出来事を紹介したい。

10年ほど前、今はほぼ駐車場になっている旧聖福寺領の遺構の再開発で「談匀道成」と書かれたおびただしい数の木箱が掘り出されたことを福岡の地方紙が報じたが(「西日本新聞」2007年2月30日付夕刊)、翌日私が知ってすぐ詳細を問い合わせた時には、土地所有者によってすべて廃棄された後であった。

それでもできるだけ詳しく聞いたところによると、木箱の中にはカタカナでドウナシと書かれたものもあり、さらに当時にも「シ」と「ツ」を書き分けられない者がいたらしく「ドウナツ」と書かれたものもあったという。

 

もしもこの木箱が残っていれば、もちろん発音上・表記上の偶然にすぎないにしても「ドーナツ」の元祖は13世紀の博多ということになったかもしれない。

ドーナツ学への関心が高ければ、これらの木箱が失われることもなかったであろう。

(続く)

「時間」ですよ

 

3月、卒業シーズンだ。

僕も縁のあった学校で卒業式や謝恩会というものに出席した。

 実は今日もそうだった。

 

こういう日は、何か書かなければいけない気持ちになってしまう。

人は、と言って差し支えないと思うが、とにかくいまこの時間を忘れたくないという欲望に駆られてどうしようも無くなることがある。

そんなとき、まあ学生ならば気の合う友と飽きるまで過ごせばいい。

しかし僕は幸福な家庭をガラス越しに見つめる庭師だ、一人で書こう。

 

昼から高校の謝恩会に行った。

いつもの制服を着た生徒たちがいた。いるのはあたりまえだが、なんだか違って見えた。

 

大人になったとか、そういうことじゃない。

おそらくこれは祭りの日に同級生に会った時のような感覚に近い。

といってもそれはいつもとちがう特別な服や持ち物で作れるような感覚ではないと思う。

 

じゃぁ何が違うか?

自分が卒業生になったつもりで考えてみよう。

卒業の日。たとえば校舎の時計は、自分がこれまで飽き飽きするほど見てきた物であると同時にこれからもしかしたら二度と見ることがない物として現れてくる。

つまりは、「少なくとも今はまだこれまでと同じように目の前にある」のだが、同時に「今立ち去ればもう目の前から消える。または、これまでのような関係において再び出会われない(ありきたりのものではなく、懐かしいものとして見てしまう)」ものなのだ。

クラスメイトだって同じだ。どんなつまらない時間でも一緒だったのに、もしかしたらもう二度と会わないかも知れない。

渡り廊下とか、校庭の砂粒ひとつとっても感情があふれ出る直前にまで達しそうになる。窓からみえる変な木や通学路でさえもそうだ。

見るもの触れるものみなエクスタシー。

フェティシズム(物神崇拝)を極めたマスターフェティシストの境地である。

 

ということはつまり、「今」というものがとてつもなく重要になる。

今見ておかなければ、今声をかけなければ、無数の情景とか人生とかに対してなんだか取り返しのつかないことになるかもしれない。

 

日々の暮らしを支配する、あの24時間の平等な時間とはまた違う時間がここにはある。

あの人ともう会わないかも知れない、ここにはきっと二度と来られない、来たとしても意味がかわってしまっている…そんな重大すぎる「今」における時間とはどんなものだろうか。

 

今、たとえば2017年3月21日の13時12分27秒がもう二度と来ないことは誰でも知っているし、そんなものはまぁはっきりいってどうでもいい。

数字が同じように並ばないというだけだ。

 

f:id:p4bear:20170322005406j:plain

 

しかし、自分が18年間(高校生のつもり)生きてきて、同じようにこれまで生きてきて少なくとも3年間を共有した存在がいて、いままさにここで自分の人生からほとんど失われつつあること、

そしてその両方の事実が不可逆で代えの利かないものであることは、日付の数字が二度と同じものにならないことよりも意味不明なぐらい重大なのだ。

 

ハイデガーという人の本『存在と時間』では、なんだかとらえどころのない「存在」というものがどうやら時間を通して理解されるという話をしているのだが(適当)、裏からいえば、やはり「時間」というものも―当然知ってるつもりではあるのだが実は目の前のかけがえのない「存在」を通してしか経験されないとも言える。

だって、時計をみたり、カップ麺が出来るまで待てるからといって時間が「分かる」なんておかしな話だ。

そんなもんじゃなくて、僕がひとりの生徒と話すというそれだけで、というより一瞬の目線の内に、本当の時間というものをいやおうなく理解させる力がある。

 

生徒も、先生も、保護者も、僕も、この祝祭によって自分の人生(これまでの、ではなくこれからの、も含めた人生の物語)における「時間そのもの」を相互に取り戻させる。

時計やスケジュール帳によって切り刻まれていない時間そのものを。

単なる数字の並びとしてではなく、本当に繰り返すことのできない私とあなたが共に存在するこの時間を。

しかも!それがすばらしいからそうしたわけではなく、なんだかそうなってしまうのだ。

卒業式というものの中身は、そのような時間の復活祭とでもいうべき奇跡的な祝祭なのだ。

 

ところがまた。

この祝祭の参加者たちは、その同じ時間の力によって、苦しめられる。

卒業したら次は何々、いついつまでにあれ何とか、何歳を過ぎるとどうこう…

いまここで自分のかけがえのなさと対峙するとき、人はいとも簡単にあの忌まわしい「人生設計」に陥る。

 

(正直に言うと、そのような計画の一里塚として卒業式をとらえている人の方がほとんどだということは分かっている。あるいは苦痛でしかない場合もあることを。)

 

だが二度と繰り返せない生を送るというその一回性は、他者に先んじるとか、失敗しないとかいう「設計」によって克服できはしない。

また、取り返しの付かない失敗をしても、生の一回性が損なわれることは決してない。ヤセ我慢だけど、そう言ってしまおう。

 

ところがふつうは、生の一回性がヘビーすぎるが故に、人生設計をすれば安心なんだと思うようになる。あるいは悲劇的なことだが、人生を設計したうえで失敗して苦しみを背負ってしまう。

 

f:id:p4bear:20170322005343j:plain

 

しかし、過去から未来へ流れる数直線的な時間の中で自分のことをどう位置づけたとしても、そんなものをふっとばしてチャラにしてくれるような全く別の時間、つまりお行儀良く並んでいない時間そのものの爆発みたいなのが突然やってくることもある。そのことは信じていいと思う。

 

僕レベルになると、毎年の卒業式だけでなく、いろいろな行事で人々の人生時間の爆発をあびてむちゃくちゃにされにいくのである。

ただし同級生の結婚式だけはもうそろそろきついかもね^^

って書こうとしたら、だいたい終わってた。

子どもを恐れよ、そして武装解除に哲学を

先月、今月と、いわゆる「子ども」がこれまたいわゆる「哲学」をする場に行ってきた。「子ども」たちは、みな小学生だ。

 

去年同じような機会があったが、子どもでもここまで考えられるのか、ということに驚いた。

と同時に、「子どもの賢さに大人が驚く」という予定調和を見た気にもなった。

テレビドラマでも子役の名演技に大人が感心している。

だがこのような驚きや感心は、そもそも大人が子どもをあなどっているから成立するのだ。ここに子どもの哲学の本質はないだろう。

「頑張ってね」とおなじくらい空虚なノリで「すごいね」と言ってしまうが、それだけで終わってしまうのも違う気がする。

 

哲学は、子どもにとって、褒められるツールに成り下がるべきではないと思う。

哲学は一般に大人でも難しいこととされているので、それを見抜いた子どもにとっては格好の褒められツールになる危険性が高い。

だからこそ、それをうまいこと防止しないといけない。

そうして残る哲学とは、何をすることなのだろうか。

 

子どもの話だからこの際言っておくと、僕は基本的に子どもが恐ろしい。

彼らは遠慮がなく、がさつで、下品である。正直であると同時に、平気で嘘を隠蔽し、「純粋さ」というイメージを武器にして無罪さえ装う。

 

嫌いじゃないけど、手強いのだ。

 

それに制限がなければいつまでも遊び続けるし、疲れるということをしらない。

もちろん勉強ばかりしている子もいるが、それは褒められたいから(あるいは罰をおそれるから)だ。実際に必死で中学受験の勉強をしている子どもを見ていると、その子らは親から褒められることに必死であり、あるいはその愛を失うまいと必死である。

一方、「こうすれば大人は褒めてくれる、チョロいぜ」、ということも知っている。

悪魔である。

 

ともかく、子どもほど純粋に快と苦に忠実で、その真っ只中で生きている存在はない。

だからこそ大人は子どもを自制心がなく、未熟だと考える。

 

ところが、むしろ逆なのだ。

大人は、未熟さを克服した子どもではなく、いわば家畜化された子どもである。すました大人も一皮むけば恐るべき子どもであることは、自分を振り返れば誰もが分かることだろう。

f:id:p4bear:20170309221207j:plain

大人になって子どもと哲学をすると、そんな問題を思い出させてくれる。

だから「こんな非常識なこと、子どもの前で言っていいんだろうか」という意見は、子どもを脅かすどころか、かえって安心させたり感心させたりする可能性だってある。

「あの犬、狼のような意見を言ったぞ、やるなぁ」というわけだ。

そんなことは教室では起きない。家庭でも起きない。大人は子どもを大人化することに必死だからだ。

悪いことではない。むしろ相当な努力を要する大変な仕事だ。

けれど、大人って本当に正しいの?っていう疑いの声を、子ども同士で出せる場所もないと不公平だ。そんなときに、あらゆることを疑って探究できる哲学が必要になる。

 

そんな場で大人が何かやれるとすれば、家庭や教室とは違う振る舞いをすること、たとえば「大人であることに縛られてないぜ、ヘイ」と示すことだろうと思う。

子どもではないが大人でもない変な存在、中間者のようになって、奴らを混乱させるのだ。それなら楽しそうだし、楽しそうだと思える時点でちょっと子ども的になってるから合格っぽい感じがする。

 

大人の振る舞いがそのようなものでありうるとして、それと同時に強調せねばならないことがある。

当たり前すぎて取り立てて言う人は少ない気がするが、それは、子ども自身もまたつねに大人であることから逃れられないということだ。

冒頭に挙げたように、子どもは既に大人化しつつあって、もうそれは防ぎようがないのだ。

だから、哲学は、子どもが真性に「こども」になれる場でもある。

「こども」であることは、子どもにとっても既に失われてしまっているのだと主張したい。

だから大人へのおべっかから解放され、家族や友人との社会生活をも休止できるような…事実問題そんなことが不可能だとしても、そんな気になれるような場を作ることが重要だろう。哲学する場は、そのようなものになるべきだ。

 

だから、ただへりくだって子どもに近づくだけでは不十分かもしれない。それは僕にはできそうにないすばらしい事だ。じゃあ何ができるかというと、子どもを子どもでなくしている何かに対して注意深くなるような、そんな見張り役程度ではないか。

…なんて難しく考えてるうちはまだまだ修行が足りないのだろう。

てつがくは かくせいざいより きもちいい

昨日、ありがたい一句をいただいた。
実際は句ではなかったのだが、ずっと五七五で渦巻いている。
「てつがくは かくせいざいより きもちいい」
 
哲学、というか「考えざるを得ないこと」には特有の苦しさがある。
僕の場合は、小学校低学年のときには「宇宙人につれていかれること」とならんで「母が母ではないかもしれない」(身近な人が本当に本物か)という奇妙な妄想であり、次に中学年になるとそれらに「死」が加わって、最後に引っ越しをして中学生から「見知った場所や友人が根こそぎ無くなる」という事が決定的となった。
 
こういうへんてこな問題は、きまって夜やってくるので、僕は寝るのが苦手だった。
当時の自分にとって寝るいうのはかなりの努力を要するものであって、一度寝たとしても悪夢によって眠りは浅くされた。
世の中の子どもの悩みは、「そんな悩みは、たくさん遊んでぐっすり眠ればきっと忘れるよ」と語られることが多く、そこでは循環論証が無責任に放置されている。
 
いつも体をどっちに向ければ早く寝れるか試していたが、妹なんかはとっくに寝てしまっていて、その単純さを見るにつけ自分以外はロボットじゃないかと思うこともあった。
いつだったか、なぜすぐ眠れるのか聞いたのだが、「私は妖精さんに守ってもらっているから」ということらしく、眠りに際して彼女なりの「まじない」があったのだろう。
 
しばらく後、中学生ぐらいになってから「あのときの妖精さんってどんなのやった?」と確認したら「お兄ちゃんが信じるか試しただけ」という薄情というか無情な答えが返ってきて、やっぱ他人はロボットだと思うと同時に、自分もロボットじゃないか試されていたのかと今になって思う。
嗚呼、We live in ロボットワールド。

f:id:p4bear:20170212202642j:plain

 
 
他人は時々ロボットに見えるが、自分にとってリアルな苦しみたちは決して裏切らずに苦しみでありつづける。だからある意味で他人よりも信頼できてしまう。
僕としては他人のように突然ロボットに見えて笑うしかなくなる存在というのは意外と救いなのだが、ずっと居座り続ける苦しみはどうしようもなくリアルでありつづけるわけで、救いのない泥沼だと分かってはいるが見て見ぬふりするのは中々難しいのだ。
 
僕のようにふらふらした人間は、こういった苦しみ、例えば死に向き合って苦しみ抜いた一握りの強い本物の人間だけが「死」語る権利があると考えてしまう。
 
それで思い出したのだが、20歳ぐらいのとき哲学好きの人とネットで知り合った。僕は大学の哲学科に行ってて、彼は薬学系の大学にいた。めちゃくちゃ明るくて、コミュ力の化け者みたいな奴で、一時期テレクラばっかりやってたと笑っていた。まぁいつもは馬鹿な話をしてたけど、ふと厭世的な瞬間も見せるところもまた魅力だった。
そのいつもの馬鹿話の中で、高校まで兵庫にいたこと、阪神淡路大震災で大切な人を失ったことをさらっと言った。
聞き間違いだと思ったけれど、うろたえて急にへりくだった僕に対して、彼は怒った。そのことは良くおぼえている。
 
それを思い出すと、やっぱり哲学は平等であるべき、というか哲学するときは平等になれるんなら素晴らしいなと思う。
特別な経験というのは結局、「一体なぜそれが(私にだけ)起こったのか」という、世界に対する驚きであって、それは震災だろうが、生だろうが、失恋だろうが、受験だろうが、障害だろうが、なぜそうなっているのかという驚きに支配されていることにおいてはみな平等な驚きメイトなのだ。僕だって誰だって同じなのだ。
 
 
突然だけどガウタマの話をしたい。ガウタマ・シッダールタという悩み抜いた修行者の話を。
彼は修行に関して「中道」というすごく良いことを言っている(倫理の授業でやった)。それはどういうことかというと、
 
”めっちゃ頑張って苦しんだとき、あー修行したなって思うけど、いつの間にか苦しむことが目的になってきてさ。苦しまないと修行じゃないって思いはじめるんだよね。悟りが目的なのに苦しみが目的になるっていうか。
でも、自分を追い込まないで楽にしてれば修行なのかっていうと、それも違う気がしてさ。正しい修行ってなんだろうね…”

f:id:p4bear:20170212202725j:plain

 
ガウタマは人が生きるために他の命を奪わねばならないことや、老いや死が避けられないことなどに心の底から驚いて、うちのめされた人だ。
 
そのことが一体なんなのか考え続ける中で、最初は自分の体を痛めつけて「生」を否定することでこの問題から解放されようとした。
しかし一向に状況は改善されないどころか、自分を苦しめて満足する自分を発見して落胆する。だがこれ以外に何をすればいいのか?今まで通り、釈迦族の王子として快楽のうちに生きればいいのか?
 
どうやら「中道」というのは、苦と楽のどちらにも固執しないこと」らしい。これは苦と楽の折衷案に落ち着くことじゃなくて、どちらに固執することも拒みつづけるという結構ダイナミック&ハードな思想だ。ダイ&ハード!
哲学も「これが哲学だ!」って言えた瞬間死ぬ生き物なので、誰でも「なんかちがくね?」って常に言えないとウソくさい。その意味で哲学は、ブッダの「中道」つまり「~しなければ修行ではないと固執すること」への否定と似てる気がする。
 
もしも、王子の生活の中で感じた快楽と虚無を感じた上で王子の位と生活を捨てて修行するほど覚悟と経験がないと、ガウタマの言う本当の仏教は分からないよ…なんていわれたら、人生賭けて仏教やるぞ!って息巻いている僧侶志願者たちは真顔になって現地解散である。
哲学も、特別な経験を生き抜くことなしにやれないのだと言われたら、そこは抵抗したい。
 
哲学対話のときに、よく「先生だって答えをしらないんだから平等に話しましょう」なんていうけれど「先生だから答えを知っている」が偽なら、「親を亡くしたから苦しみを知っている」とか「家族が障害を持っているから障害について語れる」も偽であるかもしれない。違うとしたら、世界への驚きに或る仕方で射貫かれているかどうかであって、「一体それが何なのか実はわからなくて苦しい」という点ではきっと平等に語りうるのではないか。
学校ではつい「配慮」とか「安全」ということを考えてしまうけれど、変な配慮によって、驚きへの可能性や平等性が閉ざされてしまうのならそこにはもう哲学することは現れないかもしれない。
同時に、おそらく楽しさからも遠ざかってはならない。なぜなら、もし自分のなんらかの「(つらい)体験」を自主的に話すということがあり得るならば、そこは自己開示が強制される場でもなく、いわば「語り部」のように自分が特権的な地位を保証される場でもなく、単に自然と話したくなってしまう楽しい場だからだ。
言ってもいいし、言わなくてもいい。言ったからといって、全員がしんみりする必要はない。けど、してもいい。どっちやねん。
 
ファシリテーションというのは、否定の繰り返しだ。
これが正しいというのが基本的に無いから不安だし、面白い。
哲学することもそうだ。
 
なんて、こういう具合に昨日から小難しく考えているのだが、思考の空白ができるとすぐに「かくせいざいより きもちいい」という底抜けにアホかつモラルのかけらもないワードが浮かんでくる。
脳髄に刺さっているのだ。
だから意味もなく突然おかしくなる。
勘弁してほしい。